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韓国

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九尾狐

Gumiho · 九尾の狐 — 人を惑わす東アジアの妖狐

九尾狐(クミホ Gumiho)は千年を経て九つの尾を得たる狐妖怪にて 東亜細亜全域の妖狐信仰が韓国的に定着したる正典図像である。最も早き文献的起源は中国戦国時代(紀元前五から三世紀)編纂の山海経(サンカイキョウ)南山経(ナンサンキョウ)にて青丘(セイキュウ)地域の九尾狐が記される — 韓国には十三世紀一然(イリョン)の三国遺事(サムグクユサ)金庾信(キム ユシン)条に九尾狐が初めて出現する。日本では平安時代鳥羽天皇(在位千百七年から千百二十三年)時代の玉藻前(タマモノマエ)伝説として定着し 明朝許仲琳(キョ チュウリン 千五百六十七年以降活動)の神魔小説封神演義(ホウシンエンギ)にて殷最末の王紂王(チュウオウ)の妃妲己(ダッキ)が千年経たる九尾狐の化身と描かれたるが東亜細亜九尾狐図像の決定的正典である。韓国的特徴は ① 狐玉(コギョク)にて精気を集める ② 百日あるいは千日間人間行いを暴かれざれば人間と成るとの禁忌動機 ③ 人間の肝と精気を取りて力を維持する ④ 千九百七十七年から二千九年まで放映されし韓国放送公社(KBS)伝説の故郷シリーズの正典的韓国九尾狐図像である。二千二十年tvNドラマ九尾狐伝(イ ドンウクと ジョ ボア主演)が二十一世紀韓国九尾狐図像をK-コンテンツ正典として世界化した。

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トッケビ

Dokkaebi · 韓国の妖怪 — 悪戯と財物の気まぐれな精霊

トッケビ(韓国語 Dokkaebi)は韓国民譚の代表的精霊妖怪にて 古き器物あるいは人血の付きし箒や杵や火搔き棒等に精霊が宿りて生まる韓国土俗アニミズム信仰の決定的図像である。最も早き文献は十三世紀高麗の僧一然(イリョン 一二〇六年から一二八九年)が一二八一年に編纂した三国遺事(サムグクユサ)巻一の桃花女鼻荊郞(ドファニョビヒョンナン)条 — 新羅二十五代真智王(チンジワン 在位五七六年から五七九年)が廃位後に死せしが その魂が桃花女と通じて鼻荊郞(ビヒョンナン)なる息子を儲け 其の鼻荊郞が毎夜トッケビ群(鬼物・グィムル)を率いて王宮外にて仕事を為し 神元寺橋を一夜にて築き 吉達(キルダル)なるトッケビを後宮に入れたるとの伝説 — がトッケビ図像の韓国正典である。正典的道具はトッケビ・パンマンイ(願棒)とトッケビ・カムト(透明帽)にて 蕎麦ムクと酒を好み 相撲と悪戯を楽しみ 約束と報恩を重んずる。日帝強占期日本鬼(オニ)図像の影響にて角あり虎皮を纏う現代の姿が被せらるる以前 本来は角無き人型なる事が一九四二年孫晉泰(ソンジンテ)の朝鮮民族説話の研究によって学術的に明らかにされた。二〇一六年十二月から二〇一七年一月までtvNにて放映されしドラマ・トッケビ(金恩淑 脚本 孔劉と李棟旭 主演)がトッケビをK-ドラマ正典として世界化した。

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処女幽霊

Cheonyeo-gwisin · 恨を抱いた処女の怨霊 — 解けぬ恨を抱いてさまよう韓国の幽霊

處女鬼神(チョニョグィシン Cheonyeo-gwisin)は婚姻ならずして恨(ハン)を抱きて死せし女の怨霊にて 白き素服(ソボク)と長く解き放ちたる黒髪と血の気なき蒼白なる顔が韓国恐怖図像の決定的正典である。損閣氏(ソンガクシ)とも呼ばれ 漢字處女(処女 未婚の女)と鬼神(キシン)の合成である。図像学的起源は朝鮮時代(千三百九十二年から千九百十年)の儒教的婚姻観と韓国巫俗(ムソク)信仰が結合せし結果にて 嫁ぐ能はざりし女の怨魂が九泉(クチョン)を彷徨ふとの信仰と恨を解きてこそ成仏すとの解寃(ヘウォン)思想が核心である。最も決定的なる文学正典は十七から十八世紀朝鮮後期の漢文小説薔花紅蓮傳(チャンファホンリョンジョン) — 平安道鐵山の二姉妹薔花(チャンファ)と紅蓮(ホンリョン)が継母許氏の謀略にて寃罪に死し處女鬼神となりて新任の鐵山府使鄭東祐(チョンドンウ)に真相を訴へて解寃する筋 — が處女鬼神図像の決定的正典にて 千八百十八年頃朴在馨(パクチェヒョン)の漢文本と十九世紀ハングル本が定着した。千九百七十七年KBS一TV伝説の故郷(チョンソルエコヒャン)初回放映以後 毎年夏の處女鬼神特集が韓国恐怖TV正典を確立し 千九百九十八年朴起亨(パクキヒョン)監督の映画女高怪談(ヨゴゲダム)と二千三年金知雲(キムジウン)監督の映画薔花 紅蓮(林秀晶と文根英主演)が二十一世紀韓国恐怖處女鬼神図像のグローバル正典を位置付けた。

⚔️武器(1)
🐉神・魔(1)
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桓雄

Hwanung· 朝鮮神話の天神 檀君の父

桓雄(かんゆう ファヌン Hwanung)は朝鮮神話 — 結定的正典 — の天の神桓因(かんいん ファニン Hwanin)の子にして檀君王倹(だんくんおうけん タングンワンゴム Dangun Wanggeom)の父なる天神にて 人間世に降りて神市(しんし シンシ Sinsi)を立てし結定的正典図像である。語源は桓(あきらか にあかるし) + 雄(おすにしてえいゆう)の結定的正典語彙にて 別名 — 天王(てんおう)と桓雄天王(かんゆうてんおう)と神雄(しんゆう)と雄常(ゆうじょう) — が結定的正典語彙である。最も決定的なる文献正典は千二百八十一年頃の高麗の忠烈王七年の一然(いちねん イリョン 千二百六から千二百八十九年)師の三国遺事(さんごくいじ)巻一紀異篇の古朝鮮(王倹朝鮮)条の結定的正典にて 桓因の庶子(しょし)桓雄が人間世を治めんとして請ふや父桓因が三危太伯(さんいたいはく)の山を見下して人を弘く益せんと(弘益人間 ひろくにんげんをえきせん)為る所として桓雄に天符印(てんふいん)三と衆三千を率ゐさせし結定的正典である。千二百八十七年高麗の忠烈王十三年の李承休(りしょうきゅう イスンヒュ 千二百二十四から千三百年)の帝王韻紀(ていおういんき)巻下の結定的正典である。