「盾」タグが付いたアイテム 8件
ローマ軍団の大型曲面盾
スクトゥムはローマの軍団兵の象徴的な大型の湾曲した盾で、高さ約百から百二十センチ、幅約六十センチに及ぶ半円筒の曲面が体全体を包むように守るのが最大の特徴である。薄い木の板を幾重にも木目を交えて貼り合わせた合板を土台に、その上を革と布で包み、縁を補強して、中央に鉄の突起(ウンボ)を付けて仕上げた。ウンボは横の握りを持つ手を守ると同時に、敵を突き当てて打つ攻めの突起としても用いられた。シリアのドゥラ・エウロポスでほぼ完全な形で出土した現存の品が、まさにこの合板と革の造りを裏づける。スクトゥムの真の力は、兵が盾を前と上に密着させて矢や飛び道具を防ぐ動く盾の壁、亀甲の陣(テストゥド)で発揮された。短い刺突の剣グラディウスとの組み合わせ——盾で防ぎつつ隙から突き入れる戦い方——は、数百年にわたり地中海を支配したローマの軍事力の根幹であった。
中世騎士の逆三角形盾
ヒーターシールドは十三から十五世紀の欧州の騎士が用いた標準の盾で、上が広く下にいくほど狭まり先が尖った逆三角の形を特徴とする。「ヒーター」の名は古いアイロン(heater)に似た形から来た後世の呼び名で、中世当時はただ「盾」と呼んだ。十一から十二世紀に用いられた大きな凧形のカイトシールドから、脚を覆っていた下部が脚の鎧の発達で不要になり、小さく縮んだ形である。高さは約五十から七十センチで片手で扱いやすく、木の板の上に革と布を幾重にも張り、縁を金属の枠で補強した層の構造で作られた。何より盾の面は家門の紋章を描く主な画面となり、戦場で騎士を見分けさせ、中世の紋章学の発展に直に繋がった。十五世紀以降、板金鎧が全身を覆うようになると戦場では次第に減ったが、馬上槍試合では用いられ続けた。
古代ギリシア重装歩兵の大型円盾
アスピス(Aspis、ギリシャ語ἀσπίς)は古代ギリシャの重装歩兵ホプリテスが手にした大形の円い盾で、径およそ八十から百センチ、重さは七から八キロにも及ぶ重い防具である。軽い木(多くは黒楊や柳)の円板を鉢のように深く彫り、薄い青銅の板を外に張り、内の縁を革や布で仕上げた。最大の特徴は、中の青銅の腕輪ポルパクスと縁の革の握りアンティラベからなる二重の握りで、これが盾の重みを一つの手首ではなく腕と肩に分けて受けさせ、大きな盾を長く支えられるようにした。ファランクスと呼ばれる密集の隊列では、各兵のアスピスが己の左半身に加えて左隣の戦友の右半身までを覆ったため、盾を捨てて逃げることは隣の戦友を死に晒す最大の恥とされた。「ホプリテス」という名そのものが重装具を意味する「ホプラ」に由来し、その筆頭がアスピスであったと伝えられるほど、この盾は古典期ギリシャの市民兵の身分そのものを定める核の装いであった。
拳で握る小型円盾
バックラーは直径約二十から四十センチの小型の円い盾で、中央に盛り上がった金属の突起(ボス)の内側の握りを拳で握って用いる能動の防具である。大きな盾が腕に縛って体を覆うのと違い、バックラーは手首を自由に動かし、攻撃を正面で受けるより滑らせて逸らし、相手の武器を打って押しのけ、あるいは絡め取って隙を作るように用いた。剣を握る手まで覆い、防ぐと同時に相手の刃を制する攻防一体の道具であった。剣とともに用いる「ソード・アンド・バックラー」の技は中世欧州の剣術の中心の分野で、それに関する剣術の教本が幾つも伝わる。金属板一枚で作ることが多く安価で、小さく腰に下げて持ち運べたため、玄人の戦士だけでなく中世の市民の護身の武器としても広く用いられた。
日本の大型据置式盾
盾(たて)は地に立てて置き、その後ろに隠れて用いる日本の大型の木の盾で、手に持って動かす西洋の盾とは根本から異なる運用の思想を持つ据え置きの防具である。高さは約百二十から百五十センチで、一人の体をすっぽり隠せるほど大きい。主に攻城戦や防御戦で、弓を射る者が盾の後ろに身を隠して矢を放つ遮蔽として用いられ、幾つも並べて立てればその場に壁を成した。後ろに支えを当てて斜めに立て、面にはしばしば家門の紋を描いて陣を示した。日本の武家の文化には、個人が盾を手に持って歩かぬという独特の伝統があり、これは刀や槍といった両手の武器と、鎧そのものの防御、そして大きな肩当て(大袖)に頼る戦い方から生まれた。ゆえに日本において盾は、個人の装備ではなく、陣を築く防御の施設の性格を帯びることとなった。
逆三角形の大型ノルマン盾
カイト・シールド(Kite Shield)は十から十三世紀の欧州の騎士が手にした大形の盾で、上は丸く、下に向かって細く尖る凧(カイト)の形からその名を得た。高さは百から百二十センチに及び、馬の上の騎士の左の肩から膝までを一面に覆い、ノルマンの騎士が定めた重い騎馬突撃にて左から来る敵の槍と矢を一枚の壁で受け止めた。軽い木(主に菩提樹と柳)の板を縦横に貼り合わせた合板に革を張り、縁を鉄帯で締め、内には腕を通す紐エナルム(enarmes)と肩に掛ける紐ギージュ(guige)を取り付け、持ち運びを良くした。表面には次第に家紋がはっきりと描かれ、鎖鎧と兜で顔を覆った騎士が誰であるかを遠くからも知らせ、ゆえにカイト・シールドは欧州の紋章学(ヘラルドリー)が本格に育った面でもあった。一〇六六年のヘイスティングスの戦いを綴ったバイユーのタピスリーには、ノルマンの騎士とアングロ・サクソンのハウスカール(部下の隊長)が共にカイト・シールドを担う姿で最も明らかに残る。
古代から中世まで広く使われた円形盾
円盾(ラウンド・シールド、round shield)はその名の通り、丸き一面の平らな板より成る盾の一筋であり、その中にても八〜十一世紀のヴァイキング時代のスカンディナヴィアの戦士が手にした一具の円盾が最も明らかな姿である。径およそ七十五から九十センチの軽き木の板(多く菩提樹や樅)を木目を交わせて貼り合わせて作り、その真ん中に拳を覆う丸き鉄の突起ボス(boss)を据え、その内に片手にて握る短き棒の握りを置く。重さは三から五キロで軽く、同時代の大きなカイト・シールドや円形タージに較ぶれば片手にて自由に振るうことができ、ボスその物が一の武具として敵の顔や剣を持つ手を直に打つにも用いられた。一列に並べ敵の陣を割る盾の壁(skjaldborg)にて同じ盾が最も大きき座を占め、また同じ盾を一手に持つ戦士は剣と斧を片手ずつ握りて左右に流れて戦った。
弩兵を守る大型の立て盾
パヴィス(Pavise)は十四から十五世紀の欧州の弩兵(クロスボウマン)が好んで用いた大形の長方形の盾で、高さ百二十から百五十センチに及び、人の背丈をほぼ全て隠せるほどの巨大な防具である。木の板で作った胴に布をかぶせ、漆喰の地(gesso)の上に都市の紋や聖人の姿を描いて仕上げるのが常で、上に向かって狭まる形に、下には小さな支えが付いて地面に立てて自立させることができた。弩は一発を放ってまた弦を引くのに時間がかかるため、その間に射手の全身を覆う大きな盾が必須となり、パヴィスがその座を占めた。名はイタリアの都市パヴィア(Pavia)に由来すると伝えられ、初めはジェノヴァとロンバルディアの弩兵に根付いたが、やがて神聖ローマ帝国全域とボヘミアにまで広がり、フス戦争のチェコの歩兵が荷車の砦の前に並べた姿で最も名高い形を残した。