「兜」タグが付いたアイテム 8件
幅広い鍔を持つ中世の鉄兜
ケトルハット(kettle hat、仏chapel-de-fer 'シャペル・ド・フェル'、独Eisenhut)は十二から十五世紀の欧州にて歩兵が最も広く用いた開放式の兜で、丸い半球の頭と、その周りを広く張り出す庇とが、伏せた釜(kettle)の如く見えることに名の由来がある。簡素にして賢いその形は、上から降る矢と石、攻城の折に城壁から注がれる熱湯・生石灰・油の如き落下物を庇がまず受けて流すため、城壁の下に身を寄せて戦う歩兵にこれ以上の似合いはなかった。打ち出しの手わざが比較的簡素で、村の鍛冶の手にも作れたゆえ値が極めて安く、騎士の華麗な兜を持てぬ常の歩兵と市民兵に広く行き渡った。とはいえその用は決して下に非ず、一二五〇年マンスーラの戦いに立った仏の聖王ルイ(ルイ九世)もシャペル・ド・フェルを被っていたとジョアンヴィルの年代記に記され、歩兵から王に至る殆どの身分の頭の装いとなった稀な兜である。
古代ギリシアの全面保護型兜
コリント式兜は古代ギリシアの最も象徴的な青銅の兜である。一枚の青銅板を打ち出し、継ぎ目なく頭全体を包み、頬を覆う頬当てと鼻を覆う鼻当てが顔をほぼ完全に囲い、細い目の隙と口の辺りだけを残す。ギリシアの重装歩兵ホプリテスの必須の装備で、肩を並べ盾を重ねて押し合う密集隊形(ファランクス)において、正面の頭と顔を固く守った。紀元前八世紀ごろコリントに現れ、紀元前五世紀まで広く用いられ、戦いでない時は額の上に押し上げて被るのが普通であった。内にはフェルトや革の当てを入れて衝撃を和らげ、上には馬毛の飾りを付けることが多かった。顔をほぼ全て覆うだけに防御は優れたが、その代わりに視界と聴覚が大きく制限された。
頭部全体を覆う樽型の兜
グレートヘルムは12世紀末から14世紀のヨーロッパ騎士が用いた全面密閉型の兜で、円筒形または樽(バケツ)形の鋼鉄の筒が頭部・顔・首の上部までをすっぽり覆う。初期は天頂が平らだったが、後期は打撃を受け流すために頭頂を丸めた、あるいは円錐状(シュガーローフ)に整えた。正面には細い視認用スリット(occularium)と点々と穿たれた小さな通気孔があるだけで、当時最高の防御力と引き換えに視界と換気は極端に制限された。頭に直接かぶるのではなく、パッド入りのコイフや鎖頭巾、時には小型兜(セルヴェリエール)の上から重ねて衝撃を分散させた。十字軍と13世紀の重装騎兵の象徴であり、騎馬突撃の直前にかぶる重く頑丈な「戦闘用の筒」だった。
日本の武士の伝統的な兜
兜(かぶと)は、日本の武士が鎧とともに着ける伝統の頭の防具である。数枚の鉄板を鋲で繋いで丸い鉢を成し、その後ろに首と肩を覆う錣(しころ)が幾段も垂れ、錣の前で上に折り返した吹返(ふきかえし)が顔の側面を守り、家紋を据えた。兜の前面には前立(まえだて)という飾りを付けて、戦場で己が誰かを示し、威厳を誇った。戦国の世に至り、武将たちは漆を塗った紙・木・革で形を盛り上げた、個性的な「変わり兜」を競って作り、伊達政宗の三日月と徳川家康の歯朶(しだ)の葉の前立がとりわけ名高い。重さは飾りにより約二から五キロで、内には緩衝の布を当て、忍緒(しのびのお)で固定した。
金属帯を交差させた骨格構造の兜
スパンゲンヘルムは、金属の帯(スパンゲン)を弧を描くように交差させて骨組みを作り、その間の空きを金属板で埋めて仕上げる分割構造の兜である。普通は額を巡る帯と、頂で交わる幾本かの弓なりの帯を鋲で繋いで骨格を作り、その升目を鉄や青銅の板で埋めて、円錐に近い形を成す。一枚の鉄板を打ち出して丸ごと作る兜には高い技が要ったが、スパンゲンヘルムは部品を別々に作って組み立てるため、はるかに易しく速く作れた。そのため大量に供給され、ゲルマン・フランク・ビザンツ・ヴァイキングなど初期中世の戦士の最も普通の兜となった。鼻を覆う鼻当て(ナサル)の付いた形が最も多く、一部には頬当てや後ろを覆う鎖の垂れが加えられた。部品を別々に作る方式ゆえ複数の金属を混ぜて用いることができ、地域や時代により無数の変種がある。
15世紀ヨーロッパの密閉型兜
アーメット(Armet)は十五世紀のイタリアに育った密着型の戦の兜で、頭の曲がりにそのまま添う流れの良い丸き頂と、左右より内側に開き閉じる二枚の頬当てが、一つの貝の如く一具に組まれた点が最大の徴である。前代のバシネットが鎖のアヴェンタイユを首の周りに巻いていたのと違い、アーメットの二枚の頬当ては顎の下で出会い一点で留まり、鎖を挟まずに頭と首の脇を一面の板で覆う。前には上に持ち上げる蝶番のバイザー(面甲)が据えられ、戦のあいだは細き視界の一筋のみ残して顔を覆い、陣の休みには同じバイザーを上げて視界と呼吸を解いた。十五世紀後半のイタリアの一具の板鎧(white harness)の標準の頭の装いと定まり、ミラノのミサーリャ(Missaglia)工房を始めとする北イタリアの甲冑名匠が磨いた形は、今日われらが想い描くルネサンス騎士の最も明らかな頭の姿である。
16世紀スペイン発祥の鶏冠型兜
モリオン(Morion、スペイン語morrion)は十六から十七世紀の欧州に育った開放式の戦の兜で、頭の真ん中を貫いて高く立ち上がる稜(コム、comb)と、前後に尖って張り出す広い庇(つば、brim)が作る独特の姿が最大の特徴である。顔の前が全く開いており、視界と呼吸、聴覚が閉じた兜よりはるかに良く、十六世紀の長い行軍と野戦に適していた。高い真ん中の稜は単なる飾りではなく、上から振り下ろされる剣や戦戦の連枷の一撃を脇に流す構造の補強であり、広い庇は上から落ちる矢や石を防いで肩と首を覆った。比較的簡素な形ゆえ大量に打ち出すことができ、スペインのテルシオ歩兵の標準の頭の装いとなり、新大陸の植民地守備隊と欧州諸宮廷の儀仗を経て、今日でもバチカンの教皇庁スイス衛兵が磨かれたモリオンを儀礼の一部として用いている。
尖頂に着脱式バイザーを持つ中世の兜
バシネットは十四から十五世紀の欧州の騎士の標準の兜である。鉢が尖って立ち上がり、上から打ち下ろす一撃を斜めの面で滑らせるように設計されている。鉢の下縁には鎖で編んだ首覆い(アヴェンテイル)を小さな鋲(ヴェルヴェル)で巡らせて取り付け、首と肩、襟首を覆った。前面には開閉や取り外しのできる面頬(バイザー)を付け、平時は開けて視界と呼吸を確保し、激戦では下ろして顔を守った。こうしてグレートヘルムの防御を受け継ぎながら視界と呼吸を大いに改め、十四世紀半ばにグレートヘルムを速やかに置き換え、中世後期の最も普通の兜となった。バイザーの形により変種が多く、豚の鼻のように尖って突き出た「豚面(ハウンスカル)」のバイザーが最も名高い。