「動物鎧」タグが付いたアイテム 6件
戦象の全身甲冑
象の鎧は、戦に連れ出された象の巨大な身を覆うために作られた一具の鎧であり、ペルシャとインドのバルグスタヴァン(bargustavan)から育った獣の鎧の中で最大のものである。頭の上には金属や革で作った仮面状のシャンフロンを、背の上には矢と槍を防ぐ鎖と板の覆いを、胸と脇には鎖に小さな板をびっしりと止めた大きな一層を巻いた。背の上にはハウダ(howdah)と呼ばれる小さな櫓を載せ、二、三人の弓手や槍兵がその中から弓を射、鼻の先には短き刀を結びつけて敵の歩兵を打って散らした。人の手がかかる嵩の獣に鎧を着せた事は稀であり、一具の象の鎧の編みは一都市の主の一年の軍費に丸ごと匹敵するほど高く、ゆえに同じ鎧は野戦の武器であると同時に、王家の威勢を示す巨大な象徴でもあった。
戦闘犬の防護甲冑
戦犬の鎧は、戦に連れ出された大きな犬を守るため、人の甲冑から型を取って作られた小さな鎧であり、人の手が獣の身に置いた最古の軍装の一つである。最も常の形は、棘の生えた鉄の首輪と、胸と背を覆う鎖や固めた革の胴板、そして肩と脇を覆う小さな布張りの板を一揃いに束ねたものである。棘の首輪は一つの役のみに非ず、敵の剣鋒や狼の牙が犬の太き首を狙うのを防ぐと同時に、犬が敵に突き込む時、棘そのものが一つの武具の働きをした。同じ形の鎧が、古代ローマのモロッソスから中世欧州のアラウントとマスティフへ、また十六世紀新大陸征服期のスペインの大マスティフへと連なり、その筋は今日、米国海軍特殊戦軍と各国警察の軍犬・警察犬の防弾衣にまで生き残り、獣の鎧が人の鎧よりも長く続いた稀な筋を成す。
日本の武士の軍馬甲冑
馬鎧(うまよろい)は日本の武士の軍馬を守るために作られた鎧で、日本固有の鎧づくりの技を馬に施した独特の防具である。頭を覆う馬面(ばめん)、首を包む首鎧、胸を覆う胸当(むなあて)の三つの部が中心を成し、馬の全身を隙なく包む西洋の馬鎧(バーディング)に比べて軽く簡素である。小さな小札を緒で綴じて作る方式は武士の大鎧と同じで、日本の鎧特有の柔らかさと修理の容易さをそのまま保ちつつ、十分な防御を与えた。馬面は単なる覆いを超えて、竜や獣の顔をかたどって華やかに、また威圧的に飾ることが多く、鎧の工芸の美意識が馬にまで及んだことを示す。戦国の世に騎馬戦の重みが増すとともに馬鎧の用いも広がったが、西洋の馬鎧ほど広く普及することはなかった。
軍馬の全身保護甲冑
馬鎧(バーディング、horse barding)は中世欧州の騎士の軍馬を守るために作られた全身の鎧で、騎士の鎧に劣らぬ精緻と費えで名高い最上等の戦の装いである。頭を覆う面甲(シャンフロン)、首を包む頸甲(クリネット)、胸を覆う胸甲(ペイトラル)、脇を包む脇甲(フランシャール)、尻を守る尻甲(クルッパー)の五つの部が集まり、馬の全身を隙なく包むよう編まれた。十二世紀に鎖と布で作る馬衣(カパリゾン)から始まり、十五世紀には二枚の滑らかな板で胸と尻を覆う全板の馬鎧が完成し、その重さは三十から四十キログラムに及んだ。騎士本人の鎧と合わせれば一頭の馬が百キログラムを超える荷を負わねばならず、ゆえに馬鎧は戦の直前にのみ着け、行軍の折は外して別の馬に運ばせるのが常であった。値は騎士の鎧に並び、最上の貴族のみが持ち得たため、馬鎧は中世の騎馬の戦の華やぎと限りとを共に示す象徴であった。
砂漠の騎兵を支えた駱駝用防具
ラクダの鎧は、中東、北アフリカ、インドの砂漠を駆けるラクダ騎兵の獣を覆うために作られた鎧であり、同じ時代の馬の鎧に較ぶれば小さく軽く、目の通る編みであるのが最大の徴である。革と毛氈、小さな鎖と小さな板を組み合わせ、胸と長き首、脇を覆う数枚の面に編まれ、二つの大きな瘤が上に聳えるラクダの背は自然と覆い得ぬ場として残し、その上に鞍と小さな櫓を載せる場とした。馬の鎧が一面を堅く包むことに意を置いたのに対し、ラクダの鎧は砂漠の熱き日と砂の中で獣の息の道を生かすことに大きな重みを置き、鎖と小さな板の間を風が通る目の通る編みが屡見られた。何より、ラクダの身そのものが一つの武であり、その特有の匂いが敵の馬を動揺させ列を崩すゆえ、ラクダの鎧はこの獣の武を最も長く生かす道具として座を占めた。
戦象の背上に設置された装甲搭乗台
ハウダー(howdah)は戦の象の背に据えられた小さな櫓の一具にて、それ自体が一頭の獣の背に置かれた一の小さき要塞である。厚き木の板と鉄の帯で組んだ床の上に胸の高さの脇の壁を囲み、その内に二、三人、多くて四人の弓手と槍兵が入り、弓と槍を射た。脇の壁には小さな矢の窓を開け、敵の矢を逸らしつつ片方に射撃を注ぐことができた。同じ座の最も大きな誇りは高さにあり、背の上に据えられたハウダーは地より約三、四メートルの高みに立ち、その上の弓手は一度に敵の歩兵の隊列の全てを見下ろした。インドと東南アジアにてはこの櫓は王と将の座でもあり、一具のハウダーが敵軍の中の一点として立ち、其処より旗と手振りにて軍の全てに命を下した。ムガル朝廷とラージャスターンの王家は、金と銀と絹の幕で飾った華麗なる儀礼用のハウダー(アンバリ、ambari)を別に置き、動く玉座としても用いた。それゆえ同じ櫓は一の武具と一の玉座の間を行き来した。